人に良いと書いて=食

宮崎旅行がなくなったので、急に暇になった週末。
ちょっとがっかりな気もするけど、ちょっとほっとしたり、むっとしたり。
16連勤みたいだったので、まあ向こうもかわいそうだったので、
まあいっか。一人旅用にピスタチオ買ってくれたし。


ひまだなーという土曜日。
どうしよっかなーと思って、金曜の夜中に予約して髪をカットしてもらいにいきました。

担当してもらっている美容師さんがお店を移ったんで、私もお店を変更です。

美容師さんは会津の友達の先輩なので、話が盛り上がる盛り上がる。テンションもあがって、久々だったので、がっつり切っちゃいますかー!っていったら、。
。。本当に短い。

ショートですよね、これ。。。私が禁断としていた。
見慣れないせいもあって、すごく違和感が。

かえりに中目黒のカフェで友達とお茶をして、調べ物をまとめて、無性に小野田商店にいきたくなる。
誰かさそおっかなと思ったけれど、髪型ブルー中なので、誰にも見られたくなくて諦める。

家に帰って、きんぴらごぼうと厚揚げの煮物をつくる。
最近、おにぎりようお弁当箱を買ったので、これにつめて、日帰り旅行を考える。

ちょっと自然と戯れたい。
あ、奥多摩いきたい。
よし、奥多摩行こう。
釣りとか温泉とか。


日曜日
計画を立てるも、寝坊。。。
もうちょい近場に切り替える。

で、高尾山にしてみた。

準特急使うと、新宿から1時間かからないでいけちゃうんですよね。

午後だったせいか、人もそんなに多くないです。
山の空気は厳かでしんとしていて、モヤモヤっとした気持ちがすっきりしてくる。

ロープウェイは結構趣があってよかったです。

しかし、山をなめていました。
ワンピース一枚に、素足にブーツ。
案の定風邪をひく。

見晴らしのいいところで、相方さんから旅のお供にもらったピスタチオと缶ビールを飲みながらパソコンいじり。

明らかに変な目でみられているような。

暗くなって、キーボードがうちにくくなったし、指もかじかんで動きが悪いので、帰ることに。

再びロープウェイ。
行きのように外を眺めていたら、いきなり急降下。
ジェットコースターのような角度なのに、スピードはでないから、ずっと体がななめ。
すわれなくて立っていたから、余計に怖い。
真面目に怖かった。

駅に向かう途中、でっかい犬みたいな何かを散歩させている人とすれ違う。

なんだろ、とみてみると豚だった。
若干乗りたくなった。


日帰りだけど、久々の一人旅は楽しかったー。

も、一週間くらい放浪したい。
車ほしいよう。バイクは憧れない訳じゃないけど、私は多分絶対死ぬと思う。もうちょい危機管理能力があるコになったら考えよう。



やっぱり自分の原点って田舎なんだろうな。自然なんだろうな。
時々、どっちが田舎か!と負けん気をだしてしまうところはありますが、
(コンビニの数とか、信号機の数とか、集落数とか。。。)

高尾山にいって、気分はしゃんとしたけど、だけど同時に物悲しくもなりました。
見晴らしのいい高尾山で、一人山に望んで、ボロボロ泣いていました。
なんで泣くのかわからない。
悔しいからなのか、悲しいからなのか、ふがいないからなのか、うれしいからなのか。

多分、そのひとつが先週感じたこと。
こうした観光でなりたつ地方の隣にある地名を、その土地の特色を
知っている人は、知ろうという人はどれくらいいるんだろう。

共生しつつ、競争していく。
そんな姿が大切なのかなあ。

けっして各地域に魅力がないわけじゃなくて、
その伝え方がちょっとうまくいかないだけかもしれない。
それを先週のふるさと回帰フェアで感じました。

そうして立ち返る自分に何ができるかということ。
インターネット漬けの今の仕事でいいのか、それをいつまでに自分の想いに乗せて実行すればいいのか。

そのとき出会った方に言われたのは
今の田舎に必要なのは二足のわらじ、三足のわらじだよってこと。

それぞれが得意なものを田舎にぶつける、
だから、今の仕事と将来の目標にむけてがんばりなさい、と。
多分こどもまごくらい年の離れた方に背中を押された。

ちょこちょこ増えつつある田舎のみなさんとの輪
これを大事にしながら、今できる自分のせいいっぱいと目標にがんばらねばなーと
思ったしだいです。
いつか、都市と田舎の間にたつ人、農家と消費者の間に立つ人、
そんなコーディネーターになりたい。

さー、やりますか。
いや、やってはいるんで、継続します。

ますます時間は限られるけど、誘っていただいたグリツリに関する勉強会にも参加しようかな。


最近楽しいのが食育。
本ベースの勉強がほとんどなので、そろそろなんか顔出すところをつくってみよう。

ちょっと前まで、食べ物の大切さを知りながら、それを大事にできていなかった。
そんな罪悪感がある中で、食育なんていいていいものなのか、ちょっと苦笑い。

だけど、だからこそ気づいたこともある。
料理、命、伝統、そんなものをつなげるような人でありたいなと思う。
なりたいなと思う。

まずはおいしく料理をすることからかな。
料理を食べてくれる人がいるっていいですね。
料理を作ってくれる人がいるっていいですね。



人に良い、と書く。

生きいていくための糧となるもの。人の力の源。
つらいときに、美味しいものを食べれば、つらいことを忘れさせてくれる。
楽しいときに、美味しいものを食べれば、もっと幸せにさせてくれる。
食卓、家族のつながりを作るもの。

食べるということは、生きていく上で必要なことであり、
かつもっと人を暖かくしてくれる。

だから、食べるものが安全じゃなかったり、嘘をつかれていたならば
食べるという行為が不安になり、とたん美味しくなく感じてしまう。

そんな食って、本当に人にとっていいものなんだろうか。


食べるということは1つの大切なコミュニケーションだと思う。

食事を作った人と食事をいただく人とのコミュニケーション
食べる人のことを思って、食事を作る。
最近、毎日遅いからあっさりだけど精のつくものにしよう。
あの野菜は苦手だから、こっそりすりおろして入れてみよう。

    食事を食べる人は、食べるときに、作ってくれた人に向けていただきます、と伝える。

食事を食べる人と食物を作った人とのコミュニケーション
食事を作る人は、その調理するものが安全か、新鮮か、妥当な値段なのかを考える。
食物を作った人は、自分が作ったものがいかに安全か、いかに新鮮か、いかにコストパフォーマンスがいいのか、表現する。

食事を食べる人は、食べるときに、食べ物そのものとその向こうにいる生産者にむけて「いただきます」という。

作る人と食べ物のコミュニケーション
どう調理しようか、どうやったらおいしく食べられるか、食べ物の時節や大きさ、ちょっとした違いに目を向ければ、料理の幅は広がります。


食卓上だけではなく、食を通じたコミュニケーションはいたるところに転がっている。


本日の出社

一言目に中学生みたいと言われた。。。
そいえば中学の卒アルと髪型一緒!
へこみました。
まぁ気長にまちます。